木造豊太閤坐像

【市指定有形文化財】

shi20

よみがな もくぞうほうたいこうざぞう
員数 1躯
文化財の概要
指定年月日 昭和38年3月20日
所在地 弘前市大字藤代字川面
所有者・管理者 革秀寺

本像は、太閤が生前彫らせた三体の肖像の内の一体で、石田三成に与えられたものだという。それが関ヶ原の戦いで石田方が敗れた為に、三成の遺児が為信を頼って逃れる際に、津軽に持ち込まれたものと伝えられる。二代藩主信枚は、幕府に遠慮し、これを城内の館神本殿稲荷神像の背後に秘祀した。その後、廃藩に至るまで一度もこの像は開布されずにいたが、明治4年の館神社殿解体の際に外に出された。
太閤像は束帯姿の坐像で、像高わずかに7センチメートルの木造で、他の像同様、冠は金泥、袍は白地に花丸紋を薄く描き、胸に大きく桐紋を金泥盛上彩色している。その姿は、一般に流布する太閤坐像と全く規を一にする像である。

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