【重要文化財】
二の丸南門
二の丸東門
三の丸追手門
三の丸東門
北の郭北門(亀甲門)
よみがな | ひろさきじょう にのまるみなみもん・にのまるひがしもん・さんのまるおうてもん・さんのまるひがしもん・きたのくるわきたもん(かめのこもん) |
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員数 | 5棟 |
文化財の概要 | 【二の丸南門】 脇戸付櫓門、銅瓦葺 【二の丸東門】 脇戸付櫓門、銅瓦葺 【三の丸追手門】 脇戸付櫓門、銅瓦葺 【三の丸東門】 脇戸付櫓門、銅瓦葺 【北の郭北門(亀甲門)】 脇戸付櫓門、銅瓦葺 |
指定年月日 | 昭和12年7月29日 三の丸東門は昭和28年11月14日指定 |
所在地 | 弘前市大字下白銀町 |
所有者・管理者 | 弘前市 |
建築年代を示す明確な資料はないが、いずれも江戸時代初期と考えられ、木部をあらわし古式を伝える遺構である。各門は、桝形を構成する土塁に囲まれ、雪を考慮してか下階の屋根をひときわ高く作るなど、配置や構造に工夫がなされている。
北門は他に比して大きく、銃眼がないなど外観もやや異なる。また、初代藩主為信が攻略した大光寺城の門を移築したとの伝承に従えば、城内でただ一棟戦火にあった建物となる。
【弘前城二の丸東門与力番所】
与力番所は、城門の内側などに配置され、桝形内におかれた辻番所とともに、主要な出入口を監視する詰所として造られた建物である。宝暦6年(1756年)の城内の絵図によれば、城門内のほか下乗橋本丸側など7ヵ所に設けられている。
この建物の建築年代は不明であるが、柱などに書かれた墨書が三の丸東門のものと非常に似ているのに対し、全体の雰囲気が江戸時代中期の様相を呈していることから、江戸時代初期に建てられたものがその後大改造を受けたか、古材を使って中期に建てられたものと推定される。
現在の緑の相談所付近に残されていたものを、昭和53年から3年をかけ現在地に移築したもので、弘前城の番所としては唯一の遺構である。
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