弘前のねぷた

【国指定重要無形民俗文化財】

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よみがな ひろさきのねぷた
員数
文化財の概要
指定年月日 昭和55年1月28日
所在地 弘前市
所有者・管理者 弘前ねぷた保存会

弘前ねぷたの山車は大型の燈籠で、扇ねぷたを主として、人形型の組ねぷたも見られる。構成は、扇ねぷたが額・開き・扇から、組ねぷたが額・開き・高欄・人形からなる。笛・太鼓の囃子につれて「ヤーヤド、ヤーヤド」の掛声で気勢をあげて多勢がこれを曳く。ねぷたは各町内会、愛好会、職場団体等がこれを運行するが、ねぷたの骨組み、絵、囃子等にたずさわる人々は、弘前市内全域にわたっている。大小数十のねぷたの中には古風をよく残したものも多く、青森のねぶたと並んで貴重な民俗行事である。

「ねぷた」の呼称であるが、青森ではねぶた、弘前ではねぷたという。いずれにしても訛りの違いで藩政時代から明治時代の記録にも「子ムタ」「子ぷた」「ねぷた」「祢ふた」「侫武多」と様々に呼称されている。

ねぷたの行事は古来旧暦で行われたが、現在は新暦8月1日から7日に行なわれている。その由来について、観光パンフレット等に坂上田村麻呂や藩祖為信にちなむ伝説が書かれていたりもするが、これは後年つけ加えられたもので、本来は全国各地に残る盆行事の「眠り流し」に属する行事であると思われる。

ねぷたについて確実な記録は享保7年(1722年)五代藩主信寿のねぷた見物が最古で、藩庁の正式な記録だが「祢ふた」「祢むた」の表記が混在している。また、絵画資料で天明8年(1788年)に八代藩主信明の国入りにしたがった比良野貞彦の描いた『奥民図彙』の「子ムタ祭之図」で、藩政時代は現在のような組ねぷたや扇ねぷたではなく、四角な燈籠に飾りをつけたものや、野菜を形どった組ねぷたであったと理解することができる。
格狭間形、四・五重に矩形の盲連子型をつくり変化をみせている。また心柱は角柱で、二重目で止まっている。

問い合わせ先

担当:文化財課
電話:0172-82-1642